セカイカメラについて

ここの続き。ここや、インタビュー記事を読んで、セカイカメラについて思うことをざらざらと。総論っぽく。


セカイカメラのおもしろいところは、現実の場所にデジタルな付箋がつくこと。似ているようで、その逆、ネット上の写真などのデジタルデータに、位置情報などの付箋がつくこと、というのはぜんぜん興奮しない。しょせんはモニタの中の出来事じゃない、とさめた見方をしてしまう。
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現実の世界に、ネットの世界があふれ出していく、侵出していく、というのが最高にわくわくさせられる。すべての現実世界の裏側にぴったりと貼りつくかたちで、バーチャルな世界が広がっている。しかも、それが携帯電話のカメラを振りかざすことで見えたり、ゆくゆくは専用のゴーグルをつけることでのぞき見ることができるなんて。なんというSF。
自分はSFの世界設定好きなので、こういう世界の可能性をあれこれ頭の中で転がすだけで脳内がマッサージされる気がする。その世界にどんなサービスがあって、どんな風景をしているんだろう、ということを考えるだけで幸せだ。
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考えてみれば、モニタの前に座っている時間なんかごくわずかなもので、その先に手を伸ばして捕まえられる情報の量なんて言うのはたかがしれている。
発想を逆にして、世界は情報で満ちている、と考えれば、世の中にはまだ補足されていない情報が山積みになっているわけで、それらはすべてモニタの外側に、ネット空間の外側にある。
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この日記やほかのインタビューでもちょっとおっしゃっているけれど、セカイカメラで、現実世界のロケーション情報だけを扱うのか、それとも、場所の情報に加えて、人や物といった個物の位置情報を扱うのか、という違いは大きいと思う。
前者だけでも、インパクトは十分だけど、後者も加わるとものすごいことになるんじゃないだろうか。
どこで、誰が/何かが、いつ、何をしている、という情報を電子的に扱えるとすると、もう、人が住んでいる世界で起きている出来事のけっこうな部分をカバーできることになる。
ちょっと考えただけでも、めまいのするようなものすごい可能性だと思う。


続く。