石油の歴史、メモ
「石油 最後の1バレル」を参考に、適当に石油の歴史をまとめておきます。
以前、石油の世紀―支配者たちの興亡〈上〉、石油の世紀―支配者たちの興亡〈下〉という分厚い上下巻の本を図書館で借りたんですが、あんまりにも複雑すぎて頭に入らなかったんですね。見方を変えると、現代の三国志のようなお話でけっこうおもしろかったんですが、カルースト・グルベンキアンとか、アクの強い人物のエピソードばかり頭に残ってしまって。
今回の本はわりあい全体像を把握しやすかったです。
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で、簡単な年表をメモ代わりに残しておきます。
1859年、エドウィン・L・ドレーク大佐(自称)がペンシルバニア州で油田を発見。石油の採掘が始まる。このころはまだ灯油としての利用。鯨が少なくなってきた頃で、価格が高騰していた鯨油を押しのけて普及が始まる。
1863年、ジョン・D・ロックフェラーがオハイオ州クリーブランドで石油精製業に乗り出し、1870年、スタンダード石油を設立した。これはウィキペディアからの引用(石油 - Wikipedia)。スタンダード石油は猛烈に大きくなる。一時は世界の年間石油生産、3500万バレルのうち3000万バレルを生産していたそう。
1893年、マーカス・サミュエルのシェル石油が初めて、スエズ運河を越えて、ロシア産石油をシンガポールやバンコクまで運ぶ。その後、シェル石油は、スタンダード石油からの猛烈な攻撃に耐えつつ、ロイヤルダッチと合併してなんとか生き残る。後のロイヤルダッチ・シェル。
1911年、シャーマン法が制定され、スタンダード石油が分割される。いわゆるセブンシスターズのうちのBPとロイヤルダッチ・シェルを除いた、五社は元スタンダード石油。どれくらい大きかったかがよくわかる。現在の会社だと、エクソンモービルとシェブロンがスタンダード石油の流れをくむ。
1911年末、海軍大臣ウィンストン・チャーチルがイギリス海軍の動力源を石炭から石油に切り替えることを決意する。元々はジョン・アーバスノット・フィッシャー提督の長年の構想だったらしい。
1914年、チャーチルは、イギリス海軍のエネルギー安定供給のために、アングロペルシャの株の51%を購入。後のBP。
1914年、第一次世界大戦が勃発。石油やガソリンを用いた乗り物の優位性は明白。「同盟国は石油の流れにのって、勝利にたどり着いた」と言われる。石油が戦争に欠かせない戦略物資として認識される。
1938年、サウジアラビアでアメリカの石油会社がようやく利益が出せる量の石油を掘り当てる。この合弁会社はカリフォルニア・アラビアン・スタンダード石油。後のサウジアラムコ。アメリカは中東でなかなか石油の権益を手にすることができずにいたが、サウジアラビアでは前王に味方したイギリスが完全に締め出されていた。
1945年、ベネズエラの石油相ペレス・アルフォンソ、海外の石油会社と利益の50%を分け合うことを認めさせる。50:50の配分は、中東でも踏襲され、新しい慣習となる。
1960年、OPEC創設。
1971年、リビアのカダフィ大佐、慣習となっていた五十対五十の協定よりもさらに有利な条件、権益の58%の保有を石油メジャーに認めさせる。ちなみに、現在の取引ではさらに産油国側に有利になっていて、政府が85%以上の権利を握るのが普通、と。
1973年、第4次中東戦争、勃発。OPECは、イスラエル支援国への禁輸措置をとる。石油のスポット価格は、1バレル4〜10ドルから一気に25ドルに高騰。第一次石油ショック。
1979年、イラン革命が起きて、親米派の国王が退位。第二次石油ショック。
これ以降、1980年代を通じて、各国で石油代替が進む。石炭と原子力、天然ガスの台頭。石油価格の下落。
2005年前後、徐々に石油価格が高くなっていく。
2008年、最高価格、1バレル138ドルまで上がる。