ホスニ・ムバラク大統領の悲劇

The Tragedy of Hosni Mubarak
News week誌のChristopher Dickeyさんによる、エジプトのMubarak大統領とその家族のミニ評伝みたいな記事。
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自分は、Mubarak大統領のことをほとんど知らなかった。画面をにらめつけながら演説をする頑固で物わかりの悪そうなお爺さん、というイメージしかなくて。
新聞記事では、ただのよくある独裁者の一人にすぎないように見える。でも、詳細に分け入ってみれば、よくできた物語のような興味深い襞があるのだね。
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部分的に抜き出して翻訳。

ムバラク氏の失墜は、チュニジアで起きたような物語とは異なる。チュニジアでは、独裁者とその眷属が国にとって価値のある物すべてを奪おうとしていた。
確かに、大きく報道されたが、まだ詳細が明らかではない400億ドルから700億ドルにも上ると言われる、ムバラク一族による蓄財はある。
しかし、これらの蓄財がわずかでも信頼に値すると考える外交官はエジプトにほとんど居ない。「他の泥棒政治(kleptocracies)と比較すると、ムバラク氏の行いはそんなにひどくはない」、西側の使節の一人は匿名で語る。
「確かに汚職はあった。しかし、私の知る限り、それらの汚職ムバラク大統領夫妻に、個人的に結びついているようなものではなかった」。
彼らはそんなに凝った生活をしていなかったのだ。
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この物語の中心にいる人物、国民の父(patriarch)であるところのムバラク氏は、自身が大統領につくなどとは予想だにしなかった。まあ、それが実現したときに、逆にいつ終わるのかさえ、予期できなかったわけだが。
エジプト空軍の司令官として、彼は1973年のイスラエルとの戦争で英雄になった。なので、Sadat大統領がムバラク氏を宮殿に呼んだときも、彼は外向的なポストか何かを提供されるのだろうと思っていた。(友人によると、夫人のSuzanne氏はヨーロッパの国がいいと思っていたそうだ)
Sadat大統領は、彼を副大統領に指名した。そして、1981年10月6日、Sadat大統領とムバラク副大統領は隣同士で座って、軍事パレードを見ていた。過激なイスラム主義者の銃口が火を噴き、ムバラク氏は結果、この国でもっとも権力のある人物となった。

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ムバラク大統領の夫人のSuzanne氏も一角の人物であったらしい。エジプト人の医者とウェールズ人の看護婦との間に生まれて、17歳で結婚。
そのとき、ムバラク氏は、まだ空軍の教官だった。
彼女は、社会活動家となり、多くのNGO団体を招く手助けをして、エジプト人の生活の改善を助けた。
ムバラク大統領より10倍は賢い、との評判も。
また彼女は、息子と孫たちを導いて、エジプトに政治的な王朝を築こうとしていた。
ちょうどアメリカのKennedy家やBush家、Clinton家のように。
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ムバラク大統領は80代の老境を迎えて、最愛の孫、Mohamedを失う。そしてオバマ大統領のカイロ演説。http://www.geocities.jp/cafearabiagarden/ObamaCairoSpeech.htm

Mohamedは数日後、パリの病院でなくなった。脳出血によるものだったと伝えられている。打ちのめされたエジプトの大統領は、WashingtonのObama大統領を訪問する旅を中止した。彼は孫の葬儀にさえ出ることができなかった。
Obama大統領がカイロへおもむき、画期的なカイロ演説をムスリム世界に発信したとき、彼は欠席していた。
そしてエジプトの人々は、他のどの国よりもセンチメンタルな人々であり、彼らの大統領の深い悲しみを我が事のように受け止めた。
イスラエルのジャーナリスト、Smadar Periは、エジプトの人々が街頭へ赴き、お悔やみの言葉だけをレポーターに訴えていたことを覚えている。
「われわれは家族なのです。ムバラクは皆の父です」。

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孫に先立たれ、ムバラク大統領は覇気を失う。
彼の息子のGamal氏について。

大統領の年若い方の息子は、National Democratic Partyにおいて、十年ほど統治の技術を学んでいた。
それ以前は、Londonにいて、最初はBank of Americaで働き、後にMedinvestという自身の会社を立ち上げた。
彼は海外から、組織論と経営技術を輸入した。特に、イギリスの労働党から。
(トニー・ブレアはだれよりも頻繁に、エジプトで休暇を取っていた。)
計画は一点をのぞけばうまくいっていた。つまり、Gamalが政治家向きではなかったことだ。
「Gamalは技術オタク(nerd)なんです」。モバイル教育の企業家であり、CairoのAmerican Universityのクラスメートである、Ziad Alyは言います。
「彼は、賢いtype4.0(何?)の学生でした。彼はその頃から今までずっと賢明さを維持しています。たくさん本を読み、たくさん学んでいました。Gamalはよい投資銀行家だったのです」。

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うんと飛ばして最後の段落。

週末に、ムバラク大統領は、彼を救ってくれるはずの軍にそのつもりがないことを知らされる。
最初の標的は、いわゆる"ビジネスマン"だった。Gamalとその同盟者たちが排除された。
何人かは脅しを受けた。
保守派が最初の勝利を挙げたのだ。そして、大統領その人も退陣することになった。
保守派が再び政権を握った。
この事実は、すぐに普通のエジプト人にも影響することになるだろう。次のsoap opera--ないしは悲劇--が始まったのだ。まあこのドラマは、ムバラク家の物語とは呼ばれないだろうが。