英語と日本語の設計

だれが設計したわけでもないのだけど、日本語と英語の仕組みはずいぶん違うなあと。
客観的な世界に、動作主がいて、それが何事かをなすのを、論理的に記述する仕組み、というのが英語の根本にあると思う。


日本語の場合には、具体的な会話や、あれこれ思いにふけったりするのに最適化されている感じがする。
うまくいえないけれど、一人か二人以上の人が、何か共通の話題について、あれこれ付け加えながら、話を展開させていくような使い方にいちばん向いている。
話題を共有しながら、いろいろな人が情報をちょっとずつ加えて、話を展開させていく、というか。そういう連歌のような、匿名掲示板のような、井戸端会議みたいな使い方。


日本語は、文脈に高度に依存していて、しかも、文脈にあっている限りは、けっこう融通の利く使い方ができる。語順も自由。
日本語話者として、使い勝手の良さを感じるのはこのあたり。
英語はいわゆる事実の記述に向いている感じがする。法律や裁判の世界とか。事故や刑事事件を記述したりするような場合。