おもしろい誤解

http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20090901-01.html

あるイタリアのテレビ・プロデューサーが「民主主義の歴史的勝利をあちこちで祝っている日本人の画像をとってこい」と、カメラマンを外に送り出したのだが、そんな光景はどこにもなかったのだという。「何も録画できなかったんだ」とこのプロデューサーは嘆いていた。


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そうか、このへんの感覚が外国の人には不思議に思えるんだね。
「長期にわたる自民党独裁が崩れた歴史的な日」なのに、なぜ歓喜を爆発させる日本人がいない?と。
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それは、日本は自民党にずっと支配されてきた、ずっと抑圧されてきた、と感じる人がいないせいだと思う。
これは人によって異論のあるところだろうけど、自民党はこの国のマジョリティを抑圧したことはなかった。あるいは、街角で自民党崩壊を祝う人が目立つほどの大きさの、少数者集団を抑圧することもなかった。
このへんが、台湾や韓国と日本の異なるところだと思う。台湾の、外省人本省人の対立、韓国の軍政と地域対立のような露骨な支配/被支配の構造がなかった。
(もちろん、日本の場合、もっと小さな集団への抑圧はいっぱいあっただろうけど)
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利害を異にする、さまざまな集団からの代表者が、一堂に集まり、お互いに押したり引いたりしながら、なんとか合意形成を目指す場所。他の国の国会がそういうものだとすると、日本の国会はもう少し感触が異なる。
なんというか、巨大な村の寄り合いみたいなものだったと思うんだな。自民党はそこの年寄りで、議事進行役兼、まあ主立った事柄を皆の顔色をうかがいながら決めてしまう人みたいなもの。
なので、自民党を下野させる、というのは、運営を上手に務められなくなった管理人を放り出すようなものだと思う。
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自民党と野党の抗争というのは、どちらが日本を支配するかどうか、とか、どちらの支持母体集団が他集団に対して優越な立場を築くか、とか、そういう深刻な対立ではなかった。
つまるところ、それは内輪もめに近いもので、あくまで均質性の高い集団の中での、内輪の争いにすぎなかった。
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自民党の崩壊にカタルシスを感じる人がそんなに多くないのは、ざっと考えて上のような理由からだと思う。
今、多くの日本人は、新たに舵取りを任せる、民主党がはたしてうまく国を運営してくれるだろうか、とそんなふうに心配していると思う。
自民党の崩壊を喜ぶよりも、民主党ちゃんとやってくれるかな、という気持ちが強い。
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追記。
ここで書いた気持ちは、ここの人たちと近い。
麻生太郎総裁にありがとうを言うスレ - スチーム速報 VIP
自分も、麻生さんと自民党には、ごくろうさまでした、と言いたいな。