梅田さんのインタビューにゆっくり反応してみる(3)-2

前回、(3)-1の補足です。基本的に言いたいことは前回と同じ。
My Life Between Silicon Valley and Japan
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梅田さんが著書のweb進化論の149ページでfinalventさんのブログについての解説を引用している。こちら。

ブログと専門性… - finalventの日記

そのあたり、ちょっと違和感があるのは、専門家はブログに出てくる必要はない、というか、出てきてもPVは取れないし事実上消える。ニーズがあるのは、専門家そのもののスクリプトではなくて、それを伝えるスクリプトなわけで、単純にいえば、専門と一般を繋ぐブログということになる。
(略)
大抵の場合、大衆の健全な常識はこうした場合に無言なものだ。が、その無言がかつては、ある実際的な社会連帯の実感を伴っていた。現代ではそれがない。現代では、実体的な社会でのそういうコミュニケーションはないし、復権もできない。
そうしたとき、ブログなりは、ある種、フツーなふーん、という常識的な連帯の水準を形成しえるように思う。
そうした連帯が必要なのは、すでに旧来のメディアが別の組織性(含権力)という側面を明かにしてきているためだ。

原文から無理矢理切り出す形での引用なので、原文の意味から外れているかもしれないけれど、自分が言いたいのは、つまりはこういうこと。
日本のwebに必要なのは、超一流の専門家同士が、知的に高度な切磋琢磨をすることではなく、普通の人が、お互いの知見を交換しあって、認識の共有部分を深めていくことだ。自分はそう言いたい。
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なので、海部さんには申し訳ないけれど、こういうふうに「エリートと大衆」の構図をあおることには反対。

梅田氏と「アテネの学堂」 - michikaifu’s diary

この「アテネの学堂」の世界に限って言えば、「知的エリート」だけの世界である。すぐにメシのタネになるわけでもないのに、へとへとになるほどの頭脳エネルギーを絞って、知の形成過程に参加することに甘美な楽しみを見出せるような類の人だけの世界である。
(略)
つまり、彼は日本(あるいは日本語世界)の知的エリートたちがふがいないことを攻撃している。同時に、知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たちをつまらない嫉妬で引きずりおろそうとする「大衆の愚」に怒っている。

これでは、webでのコミュニケーションを通じて、お互いの意見の共有部分を発見するとか、ある問題についてのコンセンサスを形成する、といったことができなくなってしまう。
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たとえばわかりやすいところで言うと、環境問題。
痛いニュース(ノ∀`) : 太陽活動が200年ぶりの低水準 地球は「ミニ氷河期」へ - ライブドアブログ
痛いニュースのコメント欄がものすごく吹き荒れているけれど、これは専門家による上からの啓蒙に対する、普通の人たちの反乱だと思うのね。
でも、考えてみれば、どんなに頭のいい人が知的な汗水をたらしたところで、普通の人の意見を変えなければ、環境問題を解決することはできない。最終的に、節電のための電灯を消すのは、普通の人たちなのだから(これは比喩)。
あるいは、嫌らしい例を出すと、シリコンバレーのあるカリフォルニア州財政問題
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1149
こういうのも知的な専門家だけがwebで議論していたのでは、らちがあかない。普通の人もwebの場に参加してもらって、意見を交換しながら、同意できる部分を形成していかなければ解決できない。
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もうこの手の、人々の間のコミュニケーション不足によって、解決できずに店ざらしになっている/難航している問題というのは山のようにある。
普通ならば、マスメディアを介して、人々はこういう問題についての認識を深めていくのだろうけど、日本では、この「マスメディア」がうまく機能していない。
難しいかもしれないけれど、webを通じてなら、こういう様々な問題についてのコミュニケーション不足を改善できるのではないかな、と自分は期待していた。
それなのに、今回の梅田さんのインタビューについての話題では、はてなはハイブロウな専門家を引っ張って来たらいい、とか、日本のwebにはアテネの学堂が必要とか、そんな方向の話ばかりでもう、頭にきてしまった。
そんなわけで、自分はこの記事を書きました。
以上、webと知性についての話は終わり。
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まだ梅田さんのインタビューに関する感想は続きます。