国と企業は、同じように論じられるものか?

テレビ映り - 債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら

今日の笑い話。
GMは結局レガシーコストで潰れたわけです。
レガシーコスト・・・
どんどん膨らむ高齢者の年金、そして医療保険
これをまかなうために設備投資は当然のことながら、研究開発費も削りに削る。
ROEをあげるために元来バッファーになる筈の資産も切り売りしてしまう。
本来若い労働者に配分されるべき福利厚生費(今のOB連中は現役の説きは当たり前に得ていた程度もの)はすべてOBの経費に消えていく。
将来を支えるべき若い優秀な労働力やエンジニアはどんどん他社や他産業へとられていき益々ジリ貧になっていく・・・・・。
これ、どっかで聞いた話ですよね。
巨額のレガシーコストに押され、長い歴史の間に効率の悪い資金配分がはびこり、いつの間にかそのコストを賄うために増税論がとびかい、若い世代は不安ばかりで子供すら産みたがらない・・・・・
そう、日本とまったく一緒ですね。
日本は高齢化問題をこのまま放置していくならまさにレガシーコストに押されて倒産する企業になってしまいます。


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ぐっちーさんのブログのこの部分。最初なるほど、と思って、その後、はっと気がついたのだけど、国と企業を同一線上に並べるアナロジーって成り立たないよね。
アナロジーは、並べられる二つのものの間の構造が似通っている場合に使用可能な、相手に理解を促すための道具だと思う。で、この場合、企業と国家というのは、重要な点で骨格が異なっていると。
ぐっちーさんの指摘で、この点に逆に気づかされた。
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国と企業の違い。
おおざっぱに言えば、企業は、市場の中で、限られた資源である、人とお金をめぐって、他の企業と争っている。大まかなルールとして、最終的によりたくさんのお金を集めたものが勝ち、というルールが存在している。
国家の場合はどうだろうか。世界市場のようなものが存在して、世界中の人々を国家が取り合っているのか、といえばそんなことはない。
お金は存在するけれど、そもそも世界通貨なんてものは存在せず、おのおのの国が別々の通貨を使っている。
国は、他国と、経常黒字積み上げ競争をやっているのか、と言われれば、それは違う。
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企業は継続してじゅうぶんお金を集められなくなったら倒産する。
では、国はどうか? じゅうぶんな利益が上げられなくなったら倒産するか? 外国から多大な借金をして、それが払えなくなれば、国家が破産する、ということはありえる。それでも、国自体はつぶれない。通貨が大幅に安くなって、経済的に混乱するだろうけど、国が倒産することはない。
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企業にとって社会保障は、お金を集めるという目標に対して足を引っ張るコストである。
では国の場合はどうか。国が豊かになることが国家の目的であるとしたとき、社会保障はそのためのコストだろうか? これは明らかに違う。
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おそらく、国と企業の違いは、ギャンブラーと胴元の違いに似ている。
ギャンブラーにとっての目標はよりたくさんのお金を稼ぐこと。胴元の賭場にとっての目的は、よりたくさんのお客さんを集めて、カジノがにぎわってくれること。
企業の目的は、社員の福利厚生をはかることではないので、厚すぎる社会保障が、企業の経営を圧迫する、というのはわかる。
しかし、国の場合、厚すぎる社会保障が問題を引き起こすとしても、その問題点と解決方法は企業の場合とかなり違うのではないかと思う。
継続的にGDPを伸ばしていくことが国の(カジノの)目的だとすると、社会保障や資産配分のゆがみ、といった問題はどういうふうに考えればいいんだろうか。
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この話はまだまだ続きそうだけど、ここまで。なかなかどういうふうに結論づけたらいいか難しい。