ニコニコ宣言を読む(4)

http://www.nicovideo.jp/static/base/declaration.html
第四宣言 ニコニコはネットサービスをユーザと双方向につくりあげる作品として提供します

ニコニコが提供するネットサービスは人格と世界観をもちます。われわれが提供したいものは便利なインフラではありません。ユーザーと対等の立場で相互にコミュニケーションをすることにより完成されるひとつの作品です。

ちょっとおもしろい言い方。ニコニコ動画のサービス提供者自身が、まるで一人の人間のように振る舞う、ということかしら。「運営、自重www」みたいな突っこみをユーザから受けながら、作品を作り上げていく。
言ってみれば、ニコニコ動画の運営者自体が、ニコニコ動画、という場に参加するユーザでもある、というような。そういうこと形を目指しているのかもしれない。

人間の顔をした作品としてのネットサービスがわれわれが目指すものです。

こういう言い回しは何度か出てくるね。ここで言う、「人間の」というのは、等身大の人間の、とか普通の人が自然に参加できる、というような意味があるかもしれない。

これからは仮想世界での文化であったりエンターテイメントが必要とされるのでしょう。
ニコニコが提供したいのは人間が生存するためだけであれば、きっと必要のないものかもしれませんが、仮想世界においてユーザーが人間らしく生きるために大切にしたいと思うようなサービスです。

ここでキーワードになるのは、ユーザが愛着を抱くようなサービス、ということかな。
ユーザが愛着を抱くような、大切に思うようなエンターテイメント作品を抱えている、というのはニコニコ動画の財産だと思う。
たとえば、地域のお祭りなんか、年に一度、お祭りという娯楽を通して、地域の人々を結びつける。地域に住む人は、自分もそのお祭りに参加することによって、地域に対する愛着を深め、ある種の郷土意識をもつ。
そういう、自分もこの地域の一員である、という気持ちは、祭りの時以外でも、さまざまな場面で公共心を下支えしている。
ニコニコ動画でも同じようなことが言えるんじゃないのかな。
大切にしたいと思うような娯楽作品を通じて、ニコニコ動画、という場に愛着心を持ち、同じニコニコユーザじゃないか、という仲間意識から、さまざまな親切が生まれる、というように。