携帯電話の操作が嫌い、という話

Android搭載ケータイでのGoogleモバイルサービス


スマートフォン、使いやすそうだね。何がうらやましいって、既存の携帯の操作から逃げられるのがうらやましい。
もうね、何年、携帯電話を使っても、あのユーザインターフェースには慣れない。文字を打つのも相当だるいけれど、それ以上の操作体系に一貫性がないのが腹が立ってしょうがない。


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思うに、ああいう電子機器のユーザインターフェースには二種類あって、一つはテレビのリモコン型。要するに、機能の数だけボタンを備える、というもの。録画なら「録画」を押して、予約なら「予約」を押す、というやつ。
機能が単純なうちはシンプルで使いやすいけれど、録画動作のような複雑な操作をやろうとするとめちゃくちゃ面倒くさい。
それに、ボタンをたくさんつけると、イボイボがたくさんあるみたいで単純に醜い。


一方の極端は、ipodみたいなもの。ごく少数のボタンしかなくて、それぞれが複数の機能を兼ねていているというやつ。あるボタンを押したときに、それが何をするのかは、そのときの状況によって察するか、あるいは画面の遷移で教えてくれる。
まあipodはデザイン性を優先させるあまり、ボタンを省略しすぎじゃないかと思うこともたびたびだけど。


あまり詳しくないけれど、ゲーム機は、この方向のユーザインターフェイスを極めたものだと思う。あるボタンが場合によって複数の機能を兼ねながらも、あまりそのことへの違和感を感じさせないのではないかと。
年に一回も打たないようなキーがあるけれど、パソコンもまあこちら側。やれることの多機能さとボタンの数を考えれば、パソコンもがんばってシンプルになっているんじゃないかと。


で、携帯電話は、そこそこ少ないキーで多機能を実現しなければならないので、こちら側のはずなのだけど、その踏ん切りがついていない。単機能のボタンと複数機能を兼ねるボタンが混在していてすごく使いづらい。
たぶん、ノートパソコンで一発ボタンと称して、キーボードの上にじゃらじゃらと特別なボタンを並べるのと同じ発想じゃないかと。
いちばん嫌だなーと思うのは、どの場面でどのキーを押すと、どういう働きになるのか、ぱっと見ただけではわからないこと。
液晶の画面に機能の説明があっても、その機能がどのボタンを押したときに実現されるのかわかりにくかったり、あるいはそもそも説明がなくて、この場面ではどのキーが何をするものなのか、さっぱり見当がつかないことがある。


まあ慣れてしまえば、どんな機器でも同じなのだけど、変な操作体系に自分をあわせなきゃいけないのが嫌だなと。