レイモンド・チャンドラーを初めて読んだ

さよなら、愛しい人

さよなら、愛しい人


Kindleで英語の本を読んでやろうと、あれこれ試行錯誤している。
読んだことのない原書をいきなり読もうとするのは、すごく敷居が高い、ということがわかったので、まず日本語に翻訳されたのを下読みしておいて、原書を読んでやろうと。
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あー、英語の本を読もうとすると、英語のニュースを読むのに比べて、ずっと面倒です。ニュースは形式が定まっていて、使われている語彙も大まかに限定されているのに対し、本は、極端な話、一文の中に知らない単語がいくつも含まれているような状態です。
こんなものを読もうとすると、地面をはうようにして前に進まなきゃいけないので、すごい苦痛。
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というわけで、レイモンド・チャンドラーの「さようなら、愛しい人」の日本語訳を読んで、おもしろかったら、英語の方も読んでみようと。
1940年に刊行された本で、いわゆるハードボイルド小説のジャンルの草分け。
なんであれ、ジャンルの草創期に書かれたものは、なんというか不思議な魅力がある感じします。典型に収まる前の、生々しい個性というか。
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読んでみてびっくりしたのは、小説の主人公のフィリップ・マーロウが、タフだタフだ、と描写されている割りに、内面に不思議な屈折を山のように抱えている感じがしたこと。
ぶっちゃけた話、内向的で人一倍傷つきやすいために、だれにも本心を見せずに、強がってばかりいる、子どもっぽい大人、みたいに見えた。これは村上春樹さんの翻訳が関係しているのかもしれないけれど。
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物語の組立は、そんなに器用な感じがしない。すごく頭のいい人が理知的に、大きな物語の構造を構築していく、というやり方とは遠く離れている。
むしろ、自分の中の物語衝動を大切にしながら、苦吟しながら、少しずつお話を先につなげていく、という形で全体のできあがった小説のように見える。
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作者の内面の投影なのか、強迫的なくらい、同じテーマが繰り返される。
フィリップ・マーロウは、周囲のあらゆることに反抗する→痛めつけられる→反抗する→痛めつけられる、の繰り返し。
作中で何度もフィリップ・マーロウの死が暗示されるのも特徴だと思う。彼がしょっちゅう飲んでいるお酒は毒であることが暗示されるし、彼と一緒にいた人は殺され、好感をもった人物も殺され、と。
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物事の描写がふしぎに幻想的なのもおもしろかった。写実的な描写ではなく、常に、現実に尾ひれをつけてしまうために、現実からは微妙にずれてしまうような、おもしろさがある。
探偵のフィリップ・マーロウも常に、会話の中で、その場面とは関係のない物事をもちこんで、幻想の中に生きている人のようにも見える。
ユニークな小説だと思う。