中国奥地紀行2

中国奥地紀行2、イザベラ・バード東洋文庫平凡社
1巻に続いて、2巻目も読んだ。1897年の中国奥地旅行。揚子江をずっと上流までさかのぼって、チベットまで行き、帰りもまた揚子江を下って帰ってくる、という旅行。
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奥地の旅行はかなりきつそう。1巻の後半ですでに大変だったけど、ここでも、排外主義に燃える群衆に取り囲まれたり、石をぶつけられたり(頭に命中)している。
鷓鴣山山脈で、猛吹雪の中、一夜を明かして、ほとんど死にそうになっていたり、チベットの奥地で食料がつきかけたり、などなど。大変。
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蛮子とよばれている、漢民族以外の人々、チベット系の人たちとかの生活ぶりが興味深かった。

そこに暮らす人々は頑健で気性は激しいが、かなり友好的ではある。私の思うところ、中国人は平野と川と泥の小道の民であり、コメを食べ水牛と暮らす民である。それがここへ来ると人々は頑健な山の民、狩猟民、そしてトウモロコシとキビを食べる民へと一気に変わる。


四川省の繁栄ぶりが印象に残った。成都平原について。

成都平原は、中国のみならずおそらくは世界の中でも最も豊かな平原をなす。[東西]約100マイル(1マイルは1.6kメートル)、[南北]70-80マイルほどとみられ、面積は約2500平方マイルになる。三毛作はもちろん四毛作も可能である。主な産物は、コメ、絹、アヘン、タバコ、砂糖、サツマイモ、インディゴ、カジノキ、菜種油などの油、トウモロコシ、ワタ、さらには、ありとあらゆる根菜と果実、メロン、スイカなどであり、いずれも信じがたいほどの生産量である。高みから見ると平原はまるで果樹の森のようである。

帰りの旅程、成都から重慶まで揚子江を下っていくときの様子もずいぶん賑わいのある感じだった。
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銀行の話も興味深い。為替銀行は主に、山西省出身者の手中にある。地元の銀行もあって、銅銭と銀銭の交換を行っていると。
また物ではなく人を担保に貸し出しを行っている、とのこと。年利12-20%ぐらいで貸し出すそう。客の信用度を把握するために、銀行は代理人を雇って、商業地区をうろつかせて、顧客の行動を調べていると。
年利で12-20%、というのは低すぎる気がするけれど、そんなものなのかな。
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あとはアヘンについて。この本の記述によると、四川省の大都市では、男性の8割、女性の4割がアヘン常用者だと。バードが雇った、船を押す人夫や、荷物運び、苦力などはほとんどがアヘン中毒だったよう。「私の乗った舟の船尾は夜となれば全くのアヘン窟だった」と。
とにかく酒屋のように、そこら中にアヘンの売りさばき所があったらしい。
大体、今から100年前の中国の話だから、近代の中国はけっこうものすごい薬物中毒から立ち直ったんだなあと。


こんな言葉で終わっている。

中国は新しい時代の入り口に今確実に立っている。20世紀に中国が東洋諸国の先頭に立って、しかるべき地位を占めているのか、それとも分裂と衰微を目の当たりにするのかは、大英帝国の統治的手腕と影響力にかかるところがきわめて大きいのである。

今と昔の中国で、ずいぶん変わっていそうなところもあれば、そうでないところもありそうで、なかなか興味深い。